ウンディーネ・ダイアリー

主にオタク事情を書きます。Twitter:Epyon_undine

『コードギアス 復活のルルーシュ』の予想と考察

皆さんどうも、初めまして。姉さきと申します。

 この度ブログを開設して初の投稿になりますので、不慣れ故に見苦しい点は多いかと思いますがご容赦ください。

 

さて、早速ですが今回のテーマは、2019年2月9日に劇場公開が決定しているアニメコードギアス 復活のルルーシュ*1です。

 

ブログ開設に際して右も左も分からないまま、何を最初のテーマとして持ってこようかと悩んだ時、やはり真っ先に思い浮かんだのはコードギアスでした。

 

"反逆"シリーズとして正式な続編を控えたこの時期を考慮しても、今に最も相応しい話題なのではないかと思います。

 もしも自分の考えが、コードギアスにおける疑問を解消する一助となれば光栄です。

 

 目次

 

 

テレビシリーズ『コードギアス 反逆のルルーシュ』本編におけるルルーシュ生存説

 

ルルーシュ生存(復活)説① https://privatter.net/p/2881988

 

ルルーシュ生存(復活)説② https://privatter.net/p/2882000 

 

復活のルルーシュ-考察- https://privatter.net/p/2882024

 

こちらは以前privatterに纏めていた自分のメモになりますが、一度目を通していただけると理解が早いかと思いますので是非ご覧下さい。

 とはいえ、これらはあくまでテレビシリーズ時点の結論であって、興道叛道皇道を含むものではありません。

 

復活にしても、この予想を書いてから早くも1年近く経過しました。

新たに特報と予告第1弾が公開されたので、それを踏まえてここで再び情報を整理します。

 

 

『復活のルルーシュ』予告PVから浮かび上がる事実と推測 

www.youtube.com

こちらの8月3日に公開された特報ではC.C.のモノローグと、現れた登場人物はC.C.と謎の新キャラクターのみで具体的にゼロレクイエム後の世界がどうなったのかは触れられていませんでした。

 

 

www.youtube.com

しかし、10月4日に公開された予告第1弾では「復活」の世界観に1歩踏み込んだ内容になっており、新キャラクターのキャストまで判明しました。

 

 

要点まとめ

 

・ゼロレクイエムから2年が経っており、世界はルルーシュが遺した平和を享受していた。

カフェが出来ていたのを見ても、ゼロはあの1件以降、ますます国民から英雄視されているようです。

 

・舞台はジルクスタン王国

新キャラクターの3人がこの国に付いているのでしょう。

目的は不明ですが、視察中か何かの際に無防備なナナリーを人質に取る。

 

そして、最強の騎士・ゼロ(=スザク)が本来の力を発揮出来ず、敵の手に堕ちてしまう...といった所だろうか。

 

敵は能力者(ギアスユーザーorコードユーザー)か?

これも明らかにはなっていない。

少なくとも、表向きは国家間の出来事の模様だが、裏にある個人の思惑は不明。

唯一候補として挙げられるのは、今現在では特報の方にも顔を出していたシャリオという人物。彼(彼女?)の瞳はギアスマークではなくとも、通常の色とも思えない。

 顔の両側に見られる跡も普通には見えないが、こちらは瞳の色が正常なもう1人のキャラクターにも刻まれていたので、単純に部隊のシンボルと見ていいだろう。

 

 

ルルーシュが"ゼロ"として復活する

 

キャストの欄にルルーシュの名前がないのは、直接的過ぎるので当然だと考えられます。ですが、ここである可能性に気付かされました。

 

そう、ルルーシュがゼロとして復活する可能性です。

 

考えてみれば、悪逆皇帝としてその名を世界に残したルルーシュが、復活するにしても素顔のままで堂々と表舞台に出るとは思えません。

 

では、そんな彼が復活した際にどう立ち回れば良いのか?

 

あるじゃないか、都合のいい『仮面』が。

真贋を中身ではなく、行動のみで問う『記号』が。

 

キービジュアルのゼロ

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 画像をご覧頂けると分かると思いますが、本来のゼロの衣装にはない装飾が施されているように見えるキービジュアル。

 ナイトオブゼロの衣装にも同様のアクセサリーが付いているので、根拠として不足しているのは承知しています。

ですが、この形の装飾はルルーシュを象徴しているものとして作中で多く扱われていました(ジュリアスの眼帯含む)。その事から、手前の大きなゼロの影は、装いを新たに復活したルルーシュの可能性があると思われます。

 

そして、C.C.の下で割れた仮面がゼロの正体が世界に露見してしまった事を表していて、こちらがスザクの意なのかもしれない。

血の跡も、予告で拷問らしき仕打ちを受けて出血していたスザクに重なる。

 

だとすると、この絵は間接的にC.C.がスザクを追い込んでしまうC.C.が騒動の原因を握っているという図だろうか。C.C.が何者かと生身で交戦している映像もあったので、敵を能力者と見るなら有り得る話です。

 

もしくは、ルルーシュの遺した平和を大事に想うゼロ(スザク)が、彼の皇帝帽子を胸に当てている...という図にも取れる。

 

コードギアスの構造

コードギアスでは、セルフオマージュが多く見受けられます。

 

1期1話とR2の1話との類似点

  • 授業もロクに受けず、怠惰な日々を過ごしている
  • 賭場で貴族とチェス対決をし、ルルーシュが勝利する
  • テロリストの騒動に巻き込まれ、C.C.と接触する
  • C.C.がブリタニア軍に撃たれ、ルルーシュも始末されかける
  • ギアスの力に目覚める

このように、1話は特に色濃くなぞられているのが分かるかと思います。次の2話も、単騎で戦況を一変するランスロットをなぞって、ヴィンセントでルルーシュを追い込むロロが現れる...等々、挙げたらキリがないほど。

 

R2が1期のオマージュになっている事は、全体の流れを見ると分かり易いですね。

  • 1話でC.C.と契約したルルーシュ
  • 最終話でスザクに敗れる
  • C.C.との接触で再び目覚める
  • 最終話でスザクに討たれる

この流れを汲むのなら、C.C.を理由にルルーシュが復活するのは理に適っている。

 

他にも、大きな出来事で言うと、1期で"虐殺皇女ユーフェミアを撃ったゼロが民衆に讃えられるシーン"は、R2の"悪逆皇帝ルルーシュを討ったゼロが英雄になる"という状況に酷似しています。

 

 STAGE 0

では、ゼロ(ルルーシュ)が「復活」の世界で登場する場面はどうなるだろう?

 

ゼロの記念すべき表舞台初登場シーンは、1期の4話「その名はゼロ」でした。その時の状況を思い返すと、スザクはクロヴィス暗殺の容疑をかけられ、拷問に近い仕打ちを受けた末に、愛国者たちの前に引きずり出される。

 

そんなスザクを解放すべく、ゼロとして立ち上がったルルーシュ。そして、堂々と世界に宣言します。

 

『クロヴィスを殺したのは、この私だ!』と。

 

「復活のルルーシュ」でスザクが敵に捕らえられ、ボロボロになった挙げ句、世界にゼロの正体としてその身が晒される。裏切りを重ね続けた枢木スザクが実は生きていて、その上ゼロを演じていたとなればこれ以上ない裏切りです。

ルルーシュが築いた平和も崩れ去るでしょう。

 

似ていませんか?この状況

 

抵抗する余力もないスザクが大衆に晒され、まさに絶体絶命の危機...といった所で颯爽とゼロが現れる。そこで世界中の放送をジャックしたルルーシュ『違うな、間違っているぞ。ゼロはそいつではない、この私だ!』と宣言。

ゼロが登場する時はいつも大胆で、舞台の演出には拘っている。初期登場シーンに通ずる再現は、中々有り得そうな話ではないでしょうか。

 

流石にゼロが記号だとしても、その中身は誰かしらの人間が演じている事くらいは民衆も理解しているはずです。なので、ルルーシュがゼロとして登場して「ゼロはスザクではない」と真っ向から否定すれば、ルルーシュも自身の正体を明かすこともなく隠蔽は成立。

最初から誰も正体を知らない記号としてのゼロに戻り、持ち前の知略で状況をひっくり返せば、再び世界にゼロが健在である事を示せる。

 

もしくは顔が見えず、最悪声も発さず、スザクの無罪だけを証明して最後は去っていく...なんて事もあるのではないかと予想しております。

 

『R2の続編』という言葉遊び 

復活の前提となる劇場3部作「興道」「叛道」「皇道」では、テレビシリーズとは大きく異なる結末を迎えたキャラクターが存在しました。

そして、言質を取ったかのように「R2の続編と言ったくせに結局映画の世界線かよ」「所詮R2とは別物だ」「復活は映画の世界線だから何でもあり」と、沢山のネガティブな意見を見てきました。

 

谷口

ルルーシュが生きていてまた新しいお話が始まるのかどうか、ということが一番気になっている点だと思います。「R2」の後の時代になりますので、時間軸自体はそのまま続いています。ここは間違いないです。まずは総集編3部作、そしてその先にありますネクスト・プロジェクト「復活のルルーシュ」こちらに全力をあげて取り組んでいきたいと思います。

出典:※2016年11月27日開催「キセキのアニバーサリー」イベントでのコメントより

 

 

このプロジェクトが始動した時には、確かに谷口監督はこのようなコメントを残されています。

しかし、ご丁寧に「時間軸"自体"はR2の続き」と発言されており、50話を映画3本に圧縮する際に過程が変わってしまう部分、或いはカットされてしまう部分が発生するのは受け入れる他ないですよね。

 

それにこれが示すのは「テレビシリーズ本編に該当する部分が変わっても、それらは本質的にはゼロレクイエム後の世界に影響を及ぼす起因に成り得ない」という意味での"R2の続編"だと感じました。

なので、テレビシリーズと劇場版とで過程が変化したとて、最終的にルルーシュたちがゼロレクイエムへ辿り着いたのならばR2と素直に捉えていいのではないでしょうか。

恐らく劇場版でのキャラクターが取った選択肢の違いでは、待っている未来に変わりはない。どのみちジルクスタン王国による侵攻は起き、そうでなくともルルーシュは復活するというメッセージと受け取りました。

 

ファンの反応を時々追っているんですが、「R2の続編」という言葉だけが一人歩きしているようで、それを額面通りにしか受け取らない意見ばかり散見したので、この点に関しては少し短絡的ではないかと思いました。

あのコードギアスの正統な続編と捉えて間違いはないし、それぞれの良さはあれど「自分の知るコードギアスではなくなった」と頑なに別物扱いしたり、悲観する必要もないです。

そもそも劇場3部作はインタビューを読んだ限りだと、復活の為に必要不可欠な土台というよりは新規視聴者に向けた再構成としての意味合いが強いと感じたので、復活はテレビシリーズを正史と考えても問題なく見れる仕上がりになっているはずです。

 

シャーリーの生存

 劇場3部作ではシャーリーが生き残った事が、テレビシリーズとの大きな違いとして在ります。

いや、そもそも生き残ったと言うのもおかしな話なんです。ルルーシュを尾行して真実に近付きかけたのは序盤で、それ以降命に関わるような出来事に遭遇していないので生きているのは当然といった感じだろうか。恐らくマオが存在ごと抹消された弊害で、ルルーシュの真実やギアスからは必然的に遠い存在(=生存)になったのだと思います。

 

しかし、劇場3部作の最後皇道では不穏な一幕がありました。

 

ゼロレクイエムを決行する前に、C.C.との意味深な接触があったのです。更に最後には、ジェレミアと共にルルーシュの遺体運びに協力するといった、本編とは別の形で真実に近い存在になった場面まで。

 

この場面から

「シャーリーがC.C.と契約してギアスを手に入れた」

「ギアスでルルーシュを復活させるためにシャーリーは生存したんだ」

といった意見を目にしたが、これはテレビシリーズを根拠に否定させてもらおう。

 

ギアスの系譜

これは本編の考察の方にも書きましたが、ギアス能力者には通常、破滅の未来しか待っていません。使い続ければ暴走する上に、いずれはコードを押し付けられます。

 

暴走した際の生き辛さには能力の性質が大きく関係してくるため、その時点では個人差があります。C.C.の場合は「人に愛されるギアス」だったので、暴走状態になろうとあらゆる人間にモテまくるといった、ある種幸せな悩みで済みました。ですが、ルルーシュを始めとした、大抵の能力者はその程度では済みません。ロロなんて「発動中は心臓が止まってしまう」という致命的な欠陥があったので、暴走したら即アウトのリスクを抱えていたのです。

 

話が逸れましたが、大事なのはどのような性質のギアスを持とうと最後には不死を押し付けられるという運命にある事です。ルルーシュは最終的に「ギアスは願いだ」と言い切れましたが、それは彼が能力者としても圧倒的な強者であり、一人の人間としても達観しているからこそ言えた事です。大概は自身の力に呑まれていく。

 

そして、C.C.の悲惨な過去を目の当たりにしたルルーシュは実際にギアスの系譜を理解している。そんな彼が身近な人間、それもシャーリーに契約が持ちかけられるのを許すはずがありません。ルルーシュの思惑でなくC.C.の独断で起こした事であれば尚更、復活後に2人の関係に不和が生じる事は避けられないでしょう。

 

つまり、今回のシャーリーは生き残った故に現在のポジションに収まっているという話に過ぎないと考えるのが自然です。彼女の生死はゼロレクイエム後の世界に変化をもたらすものに非ず、ルルーシュの復活に直接的に関わっていない意味のない生存の方が彼女にとってもルルーシュにとっても救いがある。

C.C.は、シャーリーにコードを押し付けるような酷い女ではないのは分かっている。そうではなく、そもそもギアスでは死んだ肉体を蘇生させることは出来ないのです。

加えて、仮にその手段をC.C.が思い付いたとして、彼女の望んだ能力としてシャーリーに発現するかどうかも曖昧でしょう。ギアス能力は、詰まるところ本人の資質に依る所が大きいからです。

 

ルルーシュが復活するために自らシャーリーの真意を確かめる電話をしたり、C.C.を手配したと考えるのも違う。ましてや、C.C.が一方的にルルーシュを復活させるためにシャーリーをギアスに関わらせたのも違うと睨んでいます。

 

確かに映画ではマオの悲劇もC.C.の過去も描かれていなかった。しかし、シャーリーにギアスを持たせるとなれば、到底1本の映画で描き切れるエピソードではなくなる。

 

 

この「皇道」はシリーズを否定するものではなく、それがもっていた可能性の1つを指し示すものだと思ってください。

出典:2018年5月26日公開『コードギアス 反逆のルルーシュⅢ 皇道』

監督:谷口悟朗 メッセージより

 

 ルルーシュの復活にシャーリーを積極的に関わらせるという行為が、監督の仰る"シリーズの否定"に繋がるものだと思うので、彼女がギアスユーザーになったという意見には断固として反対です。

 

※ただし「時間軸自体はR2の続き」が本当にコードギアスを根底から作り変える程の広い意味を含んでいたり、復活の更に先を見据えた構想があった場合、その限りではありません。

 

 ムビチケ第1弾特典の小冊子による情報の補足

大河内さんのミニエピソードを読みました。自分はあくまでテレビシリーズから入っていたファンなので、どうしてもルルーシュ復活までがゼロレクイエムの計画と考えるコードギアスが一番面白くて好きだったのですが、どうやら大河内さんがこれから描くコードギアスルルーシュが本当にC.C.を置いて死んでいった後の世界だそうです。むしろ、極僅かな復活の可能性を期待しているのはC.C.の方だったので、ルルーシュ本人もコードを受け取った可能性は頭の片隅にしか置いていなかったのでしょう。

ただ、C.C.はルルーシュ唯一の心残りとしてきちんと描写されているので、辿り着く解に変わりはなさそうです。

 

ルルーシュが復活する理由

根源的な話

コードギアスの世界では『力なき者は、力ある者の前では為す術がない』という法則があります。少なくとも、「反逆のルルーシュ」シリーズにおいては。

 

もし、ルルーシュのギアスが暴走せず、ユフィと手を組んでいたら?一見、これが最適解のように思えてしまうのがコードギアス落とし穴。残念ながら、ギアスの暴走が起きずともラグナレクの接続が行われて、どのみちユフィの描く世界は崩壊していたでしょう。

ルルーシュがシャルルに挑むこともなく、V.V.の脅威とも成り得ない。計画が実行された時、対処する手段を持たないまま呑み込まれていたか、或いはもっと前の段階でC.C.に見限られていたかもしれない。

 

あの世界でルルーシュがナナリーの望んだ優しい世界を実現するには、力を持ち頂点に君臨するシャルルを排除する外なかった。遠回りに見えても、あのやり方が最善だったように思う。

 

では、人の身で成したゼロレクイエムはどうだろう?

そう、これも敵が力ある者であれば破られるのは道理。そしてここに、スザクやナナリーでは太刀打ち出来ない"法則"が働いている。

 

この法則の観点から見ても、事態を終息させられるのはルルーシュ本人しか居ないだろう。力ある者であるルルーシュが退いた今、世界を塗り変えんとする者が現れるのは筋書き通りと言える。

 

C.C.との約束

ゼロレクイエムで大半の人間に贖罪を済ませたルルーシュに復活を恣意的に望める(望んでいい)のは 、あの世界ではC.C.しか居ない。ルルーシュにとって死んでも尚消えない傷痕であり、だからC.C.は『私には、まだ約束がある』と完全に自分の都合で言い切れる。

それがC.C.に許されて、他の誰かに許されない理由は明白。

 

ルルーシュとC.C.が王の力を手にした者であり、契約者だから

もし自分の推測通りに話が進むなら、『復活のルルーシュ』でC.C.の行動をすんなり受け入れられない人が出てくるだろう。己の都合を最優先して、墓を掘り返す醜いキャラクターと映るかもしれない。

ルルーシュにしても、せっかく罪を背負って消えたのに...と思うかもしれない。

 

けれど、一旦考えてほしい。

ルルーシュに適用したその死生観は、本当に正しいと言えますか?

 

C.C.は作中で何度も死傷しても、コードによる再生で蘇っている。そんな彼女も生まれた時から魔女だったのではなく、元は人間の、いや人間未満の扱いを受けてきた少女ではなかっただろうか。そのC.C.がいくら死の淵から蘇っても『そういうキャラクターだから』で済ませてしまうのに、ルルーシュが能力による復活を行うとなると途端に倫理観や道徳観を持ち出す動きには違和感を覚える。

C.C.と契約した時点で人の道から外れている彼を、既にその他のキャラクターたちと同一の価値観で図る事は出来ない。

 

再三言う。

「罪を犯した少年が、償うために死んでいった物語」なら他所でも描ける。

私はコードギアスでしか描けない、王の力を手にした少年の物語」にこそ真価を感じる。

 

アニメーションとして優れた点を沢山持っているコードギアスを、この1点のみで評価するわけではない。だが根源を度外視する事はできないし、能力を無視した感情的な意見はあまりにコードギアスの世界観の造詣に欠けていると言わざるを得ない。

 

 

アニメファンへの警鐘

率直に申し上げますと、コードギアスファンがこのままの意識で『復活のルルーシュ』を迎える事には危機感を覚えています。

 

「感動を返せ!」

「綺麗に終わったから良かったのに」

「たった2年でゼロレクイエムの平和が壊れるんじゃ台無しだよ」

「金儲けのために復活させられて可哀想」

 

嫌というほど目にしてきた意見だ。

「安易に生き返らせるな」ではないんだ、真剣に観てもいない人間が少し考えただけで思い当たるような矛盾点に制作陣が気付かないはずがない。意図したものだ。

一体どちらが"安易"に発言しているのか、明らかだろう。

 

私としては、10年越しに真実の答え合わせが出来る楽しみがある。

何しろルルーシュの約束が果たされるところが映像になる、それだけで夢のような心地だ。

大衆が望むテレビシリーズ3期や、ルルーシュの派手な活躍を長々と見たいわけではない。だから本来は、外野がどんな反応をしていても知らん顔を出来る。

 

 

しかし、コードギアスプロジェクトとしては、それではいけない。

 ソーシャルゲームの動きもそうだが、復活を更に礎とした何かしらのメディアミックス展開が出来るかどうかは、ファンの意識にかかっている。

 

私は、誰よりもコードギアスを理解していると驕るつもりは毛頭ない。この先の展開で真正面から自分の考えを否定されても、悔しくて涙する事はあっても受け入れよう。

でも、考えることを止めない自分を誇りに思っているし、考えることを止めてしまった人の意見を耳にするのは最も苦痛だ。

10年の時が流れても尚ファンの意見は止まないように、コードギアスは今も生きていて、走り続けているプロジェクトなのだ。そのコードギアスを思い出にしてしまい、とっくに本来の客層・ターゲットから外れてしまっている自覚のない人間に「蛇足だった」等と言われた日には気が狂ってしまうかもしれない。

 

繰り返しになるが私は、誰よりもコードギアスを理解していると驕るつもりはない。自分が賢くない事を知っているし、自分の内からは到底生まれないような、学のある方の素晴らしい意見も沢山見てきた。

 だが、大半のファンがいつまでも今の姿勢では新しい風などやって来ないしコンテンツも衰退していくだろう、という予感がある。

 

このブログを読んで曲がりなりにも今のコードギアス考え抜いたと言える人だけが、これからのコードギアスを築いていく"メインターゲット"です。

 

最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。

 

※下記コメント欄にて追記がありますので、そちらも目を通して頂けると幸いです。